客人日記

どんどんたのしい

人の気配

今回は、新たな試みをしてみやうと思ふ。

ご覧の通り、旧仮名遣いでブログを書いてみやうといふ試みである。ちやんと習つた訳ではないので、間違ひがあれば、御教示願ふ次第である。

写真ブログでこのやうなことをする奇特な者も居ないだらう。

 然し乍ら、連日の猛暑でただでさへ気まぐれな私は、部屋に引きこもつてゐるばかりで、撮影に行つてゐない。然らば、過去の写真について書かうと思ふ。

 
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先週、とあるバアで知りあつた画家の方に、私の写真を見てもらつた。酔つた勢ひとはいへ、不遜な態度であつたらうに、有難くもその方は感想を述べて下さつた。


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氏曰、人の気配つて言ふか雰囲気みたいなものが好きなんやな、どれも表情は写つてないし、人が写つてなくても人の気配を感じるもんな、と。


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確かにさう思い返してみると、そのやうである。人の気配や、その場の雰囲気、明るいとか暗いとか、暖かいとか冷たいとか、さういふものを感じた刹那にシヤツターを切つているやうに思ふ。


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最近、自分の写真が分からなくなつてゐた折も折。なんとはなしに、一貫性を見つけ、ほつとした心持ちだつた。


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漸もすれば、自分の写真は其々誰かの猿真似ではないかと不安に思つていた。使うカメラやフイルムによつて撮る感覚は異つて、従つて撮れた写真も違ふ。


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なんだ、今まで通りで良いのかと思つて安心した。勿論、撮影技術の訓練や、自分の思ふ良い写真を撮る為の鍛錬を怠らうといふのではなく、モチベーシヨンの問題として、であるが。


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私は、世界に対して優しい眼差しでありたい。苛烈な道もあらうが、私は穏やかでありたい。


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私の眼差しは優しく、穏やかであるだらうか。人に傷つけられ、死を願ふ程苦しい人生だつたからこそ、優しく穏やかでありたい。そして、世界もさうあつて欲しい。さう願ふのも、さう表現するのも亦、傲慢であらうか。


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傲慢だとしても、私は猶それを願ふ。

醜くとも、愚かだらうとも。


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写真に関して、私が他人の評価を気にしないのは、私にとつて写真が私の願ひだからかもしれない。


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人垣を

染めてくれなゐ

物思ふ

吾も染めてし

けふも暮るらむ