客人日記

どんどんたのしい

アートとは、美とは

年末年始、ひたすら写真を撮って過ごした。

4×5と6×9を担いで写真と、私自身と真っ向から向き合ってみた。

年末にかけては写真に留まらず、様々なアートにも触れ、多くの刺激を得た。

その中で至った思想について考察し、論じてみようと思う。

 

 

まず、私の撮る写真は普遍的ではない。

私は写真に対し、自己表現、アートとしての価値を重んじる。

 

私が感銘を受ける作家の多くは長い期間評価を受けられなかったり、高い評価を受けたとしてもそれに満足しなかった、もしくは抑圧、社会的苦悩を抱え、反発を試みた人々である。

彼らは何を表現し、私はそれらから何の感銘を受けたのだろうか。

 

アートとは極度に圧縮された感情の発露だと考えている。

彼らのもつあの強いエネルギーは何なのだろう。愛?優しさ?喜び?楽しさ?

否、これらは永続しない。圧縮し得ない。

何故ならこれらは簡単に果たせるし、それは社会的に良いこととされているからである。

直に言動で表現し得るのだ。

 

アートとは直に言動で表現し得ない、行き場のない感情、つまり悪の感情である。

怒り、憎しみ、悔い、悲しみ。

これらの感情が本質的に癒えることはない。

むしろ生きれば生きる程増大し、対象は個人だけでなく社会全体に向く。

その一種の暴力的衝動だけが、アートをアートたらしめているのだ。

 

このことを大抵の人は受け入れられないだろう。だから、本当に良いアートは万人受けしないのだ。

自身の憎しみや悲しみ、怒り、悔い、その暴力的衝動を認めねば、表現はおろかアートを感じることすらできまい。

善悪を越えた、総体としての感情が芸術家を突き動かすエネルギーなのだ。

 

美とは永遠である。

愛や優しさが永遠であれば良いのだが、永遠の感情とは、深い憎しみ、深い悲しみの他無い。

そして憎しみや悲しみに抗う苦悩だけが、永遠に続くのだ。

それが美の本質である。

永遠の本質である。

 

人は愛に永遠を求める。

何故なら愛が永遠でないことを知っているから。

人は苦悩を忘れようとする。

何故なら苦悩は永遠であることを知っているから。