客人日記

どんどんたのしい

渾身の一枚 室生寺 五重塔

色褪せた帽子、ドカジャン、作業着、ぼろぼろのスニーカー。

首から下げたトプコンREスーパー、肩にはフジカG690。鞄の中にはスポットメーター、CCフィルター、目一杯のフィルムと一緒にスピグラが入ってる。反対の肩に三脚をたすき掛けにして、小雨に当たらないよう煙草をふかす。

相手は強敵だ。自然と眉間に皺が寄り、脚は一歩一歩、力がこもってくる。

谷間から霧が音も無く流れ、冷たい雨だけが漫然と囁いている。

傘も差さずに、私はただ足元を睨みながら歩を進めた。私は緊張していた。

 

濡れた石段を上った。空気が肌を刺す。少し冷えてきたようだ。

本堂の脇を曲って、五重塔は姿を現した。

私は霧の中に屹立するその塔を睨みながら、対決の準備を始めた。

静かな威圧が私を抑え込もうとしている。

三脚を立てた。フジカにフィルターをセットした。シューを取り付け、ファインダーに目が届くところ、目一杯までエレベーターを上げた。

上から押さえつけるように、先生の言葉を反芻しながらアングルを調整し、ピントを合わせる。

スポットメーターを覗いて細かく露出を見、決定する。集中力が高まり、僅かな風、露出の変化をも感じとる。準備は整った。

レリーズを握りしめ、五重塔を睨みつける。強い殺意にも似た、強烈な情念が高まってゆくのがわかる。

向こうから霧が流れてきた。人も居ない。ここしかないだろう。

霧の流れがだんだんと遅くなる。風は殆ど止み、雨の音も次第に聞こえなくなる。

ここに、五重塔と私だけが居る。

互いをじっと睨んでいる。

秒針が止まった。私はレリーズを押し込んだ。


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その昔、写真は魂を抜くと云われた。

その通りだと思う。

写真は魂のやり取りだ。命のやり取りだ。

命懸けでなければ、何事も面白くはないだろう。

己の魂を思い切りぶつけなければ、何も応えてはくれまい。