客人日記

どんどんたのしい

写真の日 二周年

2018年6月1日に開設した当ブログ、二周年ということになる。

写真の日に始めた写真ブログ、なんだかんだで続いているようだ。ゲン担ぎというのはしてみるものなのかもしれない。

 

差し当たり、写真について個人的な所感を述べてみようと思う。

写真とは真に不思議なものである。

それ自体は極めて現実的でありながら、写真を撮るまでの作業というのは極めて形而上的なのである。デジタル化された今日に於いては必ずしもとは言えないが。

写真に対する大まかなスタンスの違いとして、この認識の違いがあろう。飽くまで現実のものとして捉えるのか、形而上のものとして捉えるのか。私は後者であるので、これについて少し詳しく書いてみる。

 

私は殆どフィルムでのみ撮影している。

大した理由は無い。フィルムカメラがかっこいいからだ。

然し敢えて言うなら、面倒な作業ひとつひとつを儀式として捉え、かかる儀式はシャッターを切った瞬間に成就するものとするならば、フィルムが最適だろうと思っている。

 

写真を形而上のものと捉えるならば、何より精神論が主となる。如何なる文化も精神性の上に立脚している。精神性、倫理観を端的に表現しているものと言えば宗教である。

日本では古来より、万物に魂が宿るとされる。そして万物に宿った魂、心を写しとるのが写真なのである。

それはまた、己自身の魂、心を写しとることでもある。

被写体に対してただ見るだけでなく、己が心眼で近づかねばならない。

そうして初めて、被写体の心と自らの心が触れ合う。その瞬間、シャッターを切るのだ。

 

そんな気持ちで撮影に挑むと、己が一挙手一投足にも魂が込もりはじめる。ひとつひとつの動作毎に祈るような気持ちが込み上げてくる。神や仏に祈るというのではなく、ただ漠然とした、被写体と通じ合いたいという願望だろうか、強い情念のもと、撮影に挑むのだ。


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私にとって写真とは祈りである。

私の魂が森羅万象と共にあるよう、祈りながらシャッターを切る。

役目を果たした物たちの心が私と共にあるよう、祈りながらシャッターを切る。